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けいちゃんのフラガール日記・12「スペインに行くぞ!」

常磐バタ・若

 

常磐バタ・今

 

「フラメンコのソロはなかったの?」

「フラメンコはずっと大ホールで楽団や歌のあいだにやってたよ。だいたいエミちゃん(豊田恵美子さん)が女役であたしが体大きいし男振りで『シギリージャ』やってたのよ。でも普通に女振りもやりたくて香取先生に言って男役をマサちゃんにやってもらってあたしが踊らせてもらったのがバタ・デ・コーラの『ソレア』」

 上の写真がそのバタ・デ・コーラを着たところ。次の写真が現スパリゾートハワイアンズの同じ場所での50年後のけいちゃん。

「いっぺん中野(東京)の香取先生のスタジオにみんなで連れていかれたことがあったの。日劇の人とかカッコイイ男の人とかいて私たちはまだ習い始めて間もなかったのにそこの人たちみんなちゃんと踊っててカッコイーイって思ったよ。私たちみんなその頃はパリージョ(カスタネット)だってハッコラヘッコラ位しか鳴らせなかったもんね。」

「それは研修中でしょ?」

「そう、研修中。(香取先生は)時々プロの人たちを稽古場に連れてきてくれてたよ。」

「誰が来たの?」

「本間三郎先生来て『ファルーカ』踊ったのはよく覚えてるね。カッコいいなぁって思ったよ。」

「他に誰が来た?」

「あ、そうだ。これは(ハワイアンセンターが)始まってからだけどアントニオ・ガデスが来たよ。」

 ガデスは長年にわたってフラメンコ界の頂点にいた男性舞踊手。香取先生がガデスの来日時に招待したらしくて教えるのが目的ではなく客席でけいちゃんたちの踊りを鑑賞して、けいちゃんの男振り観て「男も踊ってるのか?」とか言ってたらしいです。

「緊張しなかったの?」

「その頃はガデスっていってもよくわかんないもん。それに知らされたのも後だったし。」

「お客様も有名人がきたんだね。」

「そう、三島由紀夫も来たよ。ご挨拶なさいって4~5人でお座敷に連れてかれて挨拶したよ。」

「すごいね。で、他には?」

「東海林さだお。取材に来た。」

 その時の模様が去年ベニータが偶然見つけた東海林さだお先生著の『ショージ君のにっぽん拝見』に載ってて、オープン3年目の常磐ハワイアンセンターを取材した東海林さんが「踊り子の斎藤恵子さん(20歳)と、豊田恵美子さん(22歳)の二人を監視つきで誘い出し」てインタビューもしています。

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それがこれじゃ。(東海林さだお著「ショージ君のにっぽん発見」株式会社文藝春秋刊)

「で、プールエリアのメインステージでフラダンスとタヒチアン踊って、」

「となりの砂場でハワイアンの歌も歌ったよ。」

「なに、となりの砂場じゃと?」

「メインステージの向かって左にそんな一角があったのよ。そこでマイク持ってショー途中で『ブルーハワイ』とか歌ったよ。」

「それも茶色い眉毛の先生に習ったの?」

「いや、それは佐竹先生たちに『けいちゃん、あなた歌上手いからショーで歌ってよ。』って言われて自分なりに歌ったの。」

「なになに、じゃあメインのハワイアンステージで昼と夜にハワイアンとタヒチアンを踊ったり歌ったりして、その合間に大ホールでフラメンコ踊って、ソロで歌って3人シスターズで歌って、えらいこっちゃないですか。全部着替えるんでしょ?」

「全曲着替えるよ。メインステージでフラ踊ってタヒチアン踊って。何年かしたらメインステージの反対側に空中ステージも出来てあっちとこっちで踊るのよ。」

「空中ステージって高い所にあるの?3メートル位?」

「全然届かないよ。もっとだよ、階段で登ってくのよ。」

「そんなに高いと怖いじゃん。」

「怖いのはアントニオだけだよ。(そうでもないと思うのだが)それでフラとタヒチアン踊ったら引き上げてみんなはそのまま楽屋で昼寝したりするんだけど、この頃はもう昼休みに寮に帰るのは無しになってたからね。土地いっぱい余ってたから稽古場とかも出来てたし、私たちはメイクし直してフラメンコ踊りに大ホールに行って、あたしはまたメイクし直して3人シスターズやって、終わったらいったんグダーっとして、社員食堂行って食べる気力もないからギリギリまで寝て、夜のショーに間に合う時間に起きて支度をしてタヒチアンの列を決めるのよ。」

「えらいこっちゃね。よく体持ったね。」

「それでももてはやされてうれしいから、そりゃうれしいよ。あちこち飛ぶように行ったり来たりして踊ったり歌ったりして、毎日売店の前通り過ぎる度に、そこのおばちゃんが手招きして言ってくれるのよ『おけいちゃんおけいちゃん、ブロマイド1番売れてんだよー。』『あー、そーげー。』『人気者だもんね。』『ハイハーイ。』『ずっと1位だよ。』『ハイハーイ。』って。」

 今みたいに図々しくなかったけいちゃんは何となく照れて答えながら駆け抜けるのであった。

「そのブロマイドどおれ?」

「1枚もないよ。自分で自分の写真買わねえだろうよ。人の写真も買わないけど。」

「そうだけど見たかったね。」

 日常生活というか毎日の仕事の写真だから買わなかったんでしょうね。踊りを習っている人、発表会とか舞台とかの写真は非日常のパフォーマンスなので記念に取っておいてね。

 会社が潤い始めてもう一つ始まったことがありました。1週間位のハワイ研修旅行です。メンバーの中から順番に2~3人づつハワイに連れていってもらうことになったのです。

「あたしはスペインに行きたかったから交通費とか会社にも気を使って社長にハワイは行かんからスペイン行きたいって言ったのよ。で、香取先生も『じゃ、おけいちゃんは私と一緒にスペインに行きましょうね。』って言ってくれたもののいつまで経っても連れてってくれないのよ。1期生はみんなハワイ行ったのに。」

 毎日舞台から舞台へと飛び回る忙しいけど楽しい生活でしたが、「このままじゃいかん。」となんとなく思い始めた頃からだんだんそのサイクルがつらくなってきました。スペイン行きたいなあ。1日も早くスペイン行かなきゃ。ここで一生終わるのやだー。の思いが強まるばかり。ああここ辞めたい。

 ここでそこそこの給料をいただいてるんだから楽しく暮らしてそのうち結婚して引退という選択肢(それはそれで1つの生き方ですが)はけいちゃんには皆無だったようで、ただただスペインに行きたい。もっとフラメンコやりたいという思いばかりがつのっていきました。「1期生みんなハワイに行かせてもらったのにあたしだけずっと日本だし。」

 会社に「辞めたい。」と言うと社長のすぐ下くらいの重役の人が飛んできて「おけいに今辞められると困っから。何でも好きなことやっていいから、給料も上げるし寮にいなくていいし、なんだったら会社でマンション借りてやっから。男がいるんだったら一緒に住んでもいいから。」

「ってすごくねぇ?でもスペイン行きたかったから母親に相談したら、じゃ結婚することにしちゃえということでやめちゃった。後で香取先生に『おけい、あなたがエプロンして台所に立つ姿なんてワタクシ想像できませんわ。』その通り、なんで見抜いてんだよ。って思ったよ。」

「で辞めてスペイン行っちゃったの?」

「すぐには行けなかったよ。お金なかったもん。」

「なんに使っちゃったんだよ。」

 というわけでけいちゃんはとりあえず約4年間、学院時代を入れると約5年間過ごした常磐ハワイアンセンターを辞めちゃいましたとさ。

 しばらくして「結婚してハワイに渡る」という名目で佐竹先生も常磐ハワイアンセンターを去ることになりました。(後日、御主人を早くに亡くされた佐竹先生は帰国し、けいちゃんの同期生テルはその知らせを訊いてハワイアンセンターを辞め、佐竹先生に師事しながら独立し、自身の教室を開いてフラダンスを追求することになりました。)

 そして早川先生、豊田(現・小野)恵美子さんの師弟コンビによるNO1、NO2の体制が確立され、その後もお二人は常磐音楽舞踊学院の発展につくされ、この良好な関係は2019年1月の時点において常磐音楽舞踊学院最高顧問早川和子先生、同顧問小野恵美子先生という形で現在に至っています。

 小野恵美子先生はその後フラダンス、フラメンコにクラシックバレエを含むアカデミー「Red Story School」をいわきに開設し後進の指導にあたるとともに自身の踊りの発表の場をフラメンコに定め、けいちゃんがスペインで仕入れてきた振付を東京まで何度か習いに来ましたが、現在は体調を崩され療養中で、ご自身が主宰されるRed Story Schoolはフラダンス部門を我妻純子先生、フラメンコ部門を渡辺貴子先生、クラシックバレエ部門を山下聡子先生がそれぞれ責任者として運営されております。そんな縁もありけいちゃんは小野恵美子先生のご主人で「フラガールズ甲子園」の理事長でもある小野英人の要請で月に一度ベニータ先生として踊りに理解のあるパートナーのわし(アントニオ先生)と一緒にいわきのエミ・フラメンコアカデミア(Red Story School内)を訪れ、講師を務める渡辺先生と牧口佳代子先生、そして若くてピチピチしたお弟子さんたち10数人にフラメンコの振付をしたり一緒に稽古をしたりしています。

 一旦終わりのようですがあと一回「番外ソビエト編」もある予定です。少しだけお楽しみに。

 

 

 

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ベニータアントニオ フラメンコスタジオ
東京都調布市仙川町2-18-21 グレース仙川401
03-5384-5679
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